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応用化学プログラム
細胞生物学の研究
肝臓細胞が多核であることに意味はあるのか
学校では、動物細胞は一つずつ核を持ち、その中に染色体が1セットに納められていると習います。しかし例外もあって、筋肉細胞、巨核球細胞、肝臓細胞などは成熟するにつれ1つの細胞に複数の核を持つようになります。肝臓では、大部分の細胞は染色体を複数セット持ち、20-30%の細胞は複数の核に複数の染色体を分けて持っています。私は肝臓細胞が核や染色体を複数持つのはなぜか、どんなメリットがあるのか、なぜ染色体を複数持ってアポトーシスを起こさないのかという課題に取り組んでいます。
この研究課題は初めから持っていたものではありませんでした。肝臓の再生には興味があったので秋田大学で単離されたHSL細胞を頂いて培養し、二次元電気泳動を使ってプロテオーム解析などを行なっておりました。HSL細胞は未分化の上皮細胞なので、試薬を添加することで肝細胞へ分化誘導できないか、という事を最初に考えました。今の研究課題に気がつくきっかけは、あるとき核を複数持った巨大なHSL細胞ができていることに気づいたからでした。でも、始めは一つの細胞には一つの核という単純な知識しか頭になく、いったい自分が何を見ているのかまったくわかりませんでした。
しかし、細胞に見られる現象ならどんなことであっても、人類の役に立たないはずがないと思って観察を続けました。そして写真を他の研究者に見てもらったり過去の研究を調べたりして、あるとき、肝臓細胞はもともと核を複数持つものだという、私の「常識」を覆す「常識」に出会ったのです。そこでやっと「肝臓細胞が2つ以上の核を持っているのはどうしてか」という課題にたどりつきました。
この課題に関連して2015年ころからいろいろな研究者から報告が出てきて、ラットではインスリンシグナルによって離乳期に染色体数を2倍もつ4倍体細胞ができることが明らかになってきました。しかも4倍体細胞でできた肝臓は、どうもガンになりにくいようなのです。これはなかなかのメリットではないでしょうか。
でも、どうして肝臓では4倍体細胞が正常な状態なのでしょう。ガンになりにくい、ということはどういうことなのでしょうか。インスリンは食事のたびにすい臓から分泌されていますから、食事のたびに肝臓の細胞は4倍体になっているのでしょうか。まだまだ興味は尽きません。
写真は「核をHoechst33341、ミトコンドリアをMytoIDで蛍光染色したHSL細胞」
hepatic stem-like cells(HSL細胞)は秋田大学のグループにより単離された小型肝細胞由来の未分化な上皮細胞
Nagai, H., et al. "Differentiation of liver epithelial (stem-like) cells into hepatocytes induced by coculture with hepatic stellate cells" Biochemi. Biophys. Res. Commun. 293 (2002) 1420-1425
細胞分裂の長時間タイムラプス動画
左の動画は、自作のステージヒーターを位相差顕微鏡のステージに載せ、多核誘導した HSL 細胞が分裂する様子を10日間以上タイムラプス撮影したものの中から抜き出して作ったものです。
写真は顕微鏡用の USB カメラを使って2分ごとに撮影しました。フィルター処理と背景処理、コントラストの調節は ImageJ-Fiji を使って行い、エリアと時間のトリミング、最終的な明るさの調節は ffmpeg を使って行いました。
中央付近に2核の細胞が見えています。その細胞から一つ細胞を挟んだ左下にある細胞が分裂を始めます。しかし細胞は細胞質分裂が起こらずに、2核の細胞となりました。一方、そのすぐあとで右の方で分裂が始まった細胞は核分裂も起こらずに大きな1核の細胞となりました。画面の左では小さめの細胞が普通に分裂する様子も写っています。
見慣れるまではわかりにくいと思いますが、分裂しそうな細胞は核の中に一列に黒い線が見えて、少しすると細胞全体が収縮し、中央に白く光る線が見えます。そのような細胞を見つけて注目してみてください。動画は約 15 秒ごとに繰り返します。
静止画像では想像もつかない、いろいろな形や動きをする細胞があることが、動画にしてみるとよくわかります。
多核細胞を誘導する試薬はガンの治療薬として期待されている
HSL細胞を多核細胞に誘導するために私達は、酪酸ナトリウムをはじめとするヒストン脱アセチル化酵素阻害剤(HDACi)を使っています。酪酸ナトリウムは古くから様々な用途に用いられています。最近の例ではiPS細胞から肝細胞を誘導するのにも使われています。また酪酸ナトリウムはガンの増殖を抑制するため、治療薬としての臨床試験が続いています。近年はさまざまなHDACiが合成され、どのようなガンに効くのか、どのように使うと効果的か、が調べられています。
さて、私達はHDACiで多核細胞を作っています。HDACiをガンに作用させたときに、もし、多核細胞ができたらどうなるでしょうか。報告に依ると、ガン細胞が多核化するとそのガンの悪性度が増すのだそうです。これは困りました。ガンを治療しようとHDACiを投与したら、かえってガンを悪性化する可能性がある、ということになってしまいます。
これを防ぐにはHDACiを使っても多核細胞ができなければよいですね。そういう薬があれば併用することでうまく行くかもしれません。多核細胞ができるのを抑制する薬をつくるには、HDACiがどのようにして多核細胞を誘導しているのかを詳しく調べる必要があります。図は仮説の一つです。もし、ピンポイントでHDACiによる細胞の多核化を阻害することができたら、ガンの治療薬としてはとても安心して使えます。
私達が続けている、HDACiによる細胞の多核化機構を解明する研究が、このような形でガンの治療に役立つ日が来るかもしれません。
2024年度後期にプログラム配属が決まったばかりの2年生にこの話をしました
- 説明を聞いて今まで興味ないことも興味をもてた。楽しそうだった。
- 二核細胞が存在する理由について調べていった結果、様々な事柄について研究していくことにつながっていることを実感することができた。
とても嬉しい感想をもらいました。ぜひ、一緒に研究しましょう!
雑談:「細胞の観察」と「楽譜読み」は似ている
佐伯は趣味でコーラスをやっています。練習の前には楽譜を予習したりします。最近、私にとって「楽譜を読むこと」と「細胞を観察すること」は別々の作業ではなく、とても良く似たことなのではないか、という気がしてきました。
細胞も楽譜も、私が見ると見ないとにかかわらずすでにそこにあって、一見すると誰が見ても一緒のように思われますが、見る人が見れば様々なことがわかりますし、見るたびに違う情報を見つけることができます。オートファジーでノーベル賞を受賞された大隅先生は「情報は必ず顕微鏡の中にある」とおっしゃいました。コーラスの先生も「歌うたびに何か見つけて」といつもおっしゃいます。
「細胞の観察」も「楽譜読み」も、時が経つのを忘れてしまいます。
○発表論文
- K. Yoshiba, T. Saheki, B. E. Christensen and T. Dobashi. "Conformation and cooperative order-disorder transition in aqueous solutions of β-1,3-D-glucan with different degree of branching varied by the Smith degradation" Biopolymers, 110 e23315 (Sep. 2019)
- R. Enomoto, A. Kurosawa, Y. Nikaido, M. Mashiko, T. Saheki, N. Nakajima, S. Kuroiwa, M. Otobe, M. Ohsaki, K. Tooyama, Y. Inoue, N. Kuwabara, O. Kikuchi, T. Kitamura, I. Kojima, Y. Nakagawa, T. Saito, H. Osada, M. Futahashi, H. Sezutsu and S. Takeda. "A novel partial agonist of GPBA reduces blood glucose level in a murine glucose tolerance test" Eur. J. Pharmacol., 5(814) 130-137 (Nov. 2017)
- Y. Toyama, K. Miyamoto, K. Kubota, K. Wakamatsu, N. Nameki, T. Saheki and M. Ochiai. "Additive Effects of Betains on the Fibrinogen cryogelation Induced by Low Temperature" Trans. MRS-J., 36(3) 393-396, (Sep. 2011)
- M. Tamakoshi, A. Murakami, M. Sugisawa, K. Tsuneizumi, S. Takeda, T. Saheki, T. Izumi, T. Akiba, K. Mitsuoka, H. Toh, A. Yamashita, F. Arisaka, M. Hattori, T. Oshima and A. Yamagishi. "Genomic and proteomic characterization of the large Myoviridae bacteriophage ϕTMA of the extreme thermophile Thermus thermophilus" Bacteriophage, 1(3) 152-164 (May 2011)
- T. Saheki, Y. Mukai, K. Saito, E. Tajima, K. Katakura, A. Nishina, M. Kishi, T. Izumi, T. Sugiyama and I. Kojima. "Study of butyrate signal transduction pathways in rat hepatic stem-like cells" Animal Cell Technology: Basic & Applied Aspects, Proceedings of the 21st Annual and International Meeting of the Japanese Association for Animal Cell Technology (Springer London) 16 269-275 (Jan. 2010)
- T. Odake, T. Saheki, K. Kamezawa, K. Miyata, H. Takiguchi, H. Hotta, K. Onda, Y. Kojima, J. Li and K. Tsunoda. "Miniaturized two-dimensional gel electrophoresis of high-molecular-weight proteins using low-concentration multifilament-supporting gel for isoelectric focusing" J. Electrophoresis, 53 57-61 (Dec. 2009)
- T. Saheki, H. Ito, A. Sekiguchi, A. Nishina, T. Sugiyama, T. Izumi and I. Kojima. "Proteomic analysis identifies proteins that continue to grow hepatic stem-like cells without differentiation" Cytotechnology 57 137-143 (June 2008)
- K. Furusawa, E. Kita, T. Saheki, N. Nagasawa, N. Nishi and T. Dobashi. “Carcinogen adsorbent prepared from DNA complex by gamma-ray irradiation” J. Biomater. Sci. Polym. Ed., 19 1159-1170 (Apr. 2008)
○学会発表
- 木村 春香・佐伯 俊彦(群馬大院・理工) 「長期観察を可能にするタイムラプスシステムの開発(ポスター賞)」 令和4年度日本化学会関東支部群馬地区研究交流発表会 2022.12.3
- 佐伯俊彦(群馬大院・理工・分子科学), 小島 至(群馬大・生調研・細胞調節) 「ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤が細胞質分裂不全を引き起こしラット肝臓幹様細胞を多核にする」 "Histone deacetylase inhibitors caused cytokinesis failure, resulting in multinucleated rat hepatic stem-like cells" 第88回日本生化学会大会(BMB2015分子生物学会との合同年会) 2015.12.2
- 佐伯俊彦(群馬大院・理工・分子科学), 杉山 俊博(秋田大院・医・分子機能学・代謝機能学), 小島 至(群馬大・生調研・細胞調節) 「ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤はラット肝臓幹様細胞を多核細胞に誘導する」 "Histone deacetylase inhibitors induce the formation of multinucleated cells in hepatic stem-like cells" 第67回日本細胞生物学会大会 2015.6.30
- 佐伯俊彦(群馬大院・理工・分子科学), 杉山 俊博(秋田大院・医・分子機能学・代謝機能学), 小島 至(群馬大・生調研・細胞調節) 「ラット肝臓幹様細胞の多核化におけるアクチンの役割」 "Actin cytoskeleton in rat hepatic stem-like cell polyploidization" 第87回日本生化学会大会 2014.10.18
- 佐伯俊彦, 尾崎 司, 山田 湖紗都(群馬大院・理工・分子科学), 杉山 俊博(秋田大院・医・分子機能学・代謝機能学), 小島 至(群馬大・生調研・細胞調節) 「ラット肝臓幹様細胞を使った多核細胞形成のモデル実験系」
Toshihiko Saheki, Tsukasa Ozaki, Kosato Yamada(Div. Mol. Sci., Facl. of Sci. Technol., Gunma Univ.), Toshihiro Sugiyama(Dept. of Biochem. Metabol. Sci., Akita Univ. Grad. Sch of Med.), Itaru Kojima(Dept. of Mol. Med., Inst. for Mol. Cel. Reg., Gunma Univ.) "Hepatic stem-like cells as a model system for studying polyploidization of hepatocytes" 第66回日本細胞生物学会大会 2014.6.13
- Toshihiko Saheki, Sho Tomita, Tsukasa Ozaki, Kosato Yamada(Facl. of Sci. Technol., Gunma Univ.), Toshihiro Sugiyama(Dept. of Biochem. Metabol. Sci., Akita Univ. Grad. Sch. of Med.), Itaru Kojima(Dept. of Mol. Med., Inst. for Mol.Cel. Regula., Gunma Univ.) "Proteomic analysis of polyploid cells derived from rat hepatic stem-like cells" 第86回日本生化学会大会 2013.9.11
- 尾崎 司、山田湖紗都、(群馬大院・工・応化生化)、杉山俊博(秋田大院・医・分子機能学・代謝機能学)、小島至(群馬大・生調研・細胞調節)、佐伯俊彦(群馬大院・工・応化生化) 「ラット肝臓幹様細胞の多核化機構と細胞活性の解析」 日本動物細胞工学会2013年度大会(JAACT2013) 2013.7.18
- 尾崎 司、佐山未来(群馬大院・工・応化生化)、杉山俊博(秋田大院・医・分子機能学・代謝機能学)、小島至(群馬大・生調研・細胞調節)、佐伯俊彦(群馬大院・工・応化生化) 「ラット肝臓幹様細胞から誘導された多核細胞の性質」 平成24年度日本生化学関東支部例会 2012.6.23
- Toshihiko Saheki, Miku Sayama, Tsukasa Ozaki, Toshihiro Sugiyama and Itaru Kojima "Acquisition of multiple nuclei by sodium butyrate treatment of rat hepatic stem-like cells" 日本分子生物学会年会 2011.12.13.
- 佐伯俊彦、富澤彰太、向井祐輔、斎藤賢一(群馬大・工・応化生化)和泉孝志(群馬大院・医・機能分子生化学)、杉山俊博(秋田大・医・構造機能医学)、小島至(群馬大・生調研・細胞調節) 「ラット肝臓肝様細胞の多核化」 日本動物細胞工学会2011年度大会(JAACT2011) 2011.6.22-23